三千院・勝林院

三千院・勝林院三千院・勝林院

京都・洛北大原といえば「三千院」と誰しもが思い浮かぶほど、有名な古刹です。大原は、京都市街からわずかの距離にありながら、京都に長く住む人ですら「田舎」を連想させるほどの、静かな山里の雰囲気を持っています。

三千院は、もとは比叡山延暦寺の別院として創建され、応仁の乱の後に、現在の大原の地に移ったとされます。
境内の杉苔に覆われた庭にある「往生極楽院」(国重文)は、本来別の寺として建てられていたもので、現在は三千院の本堂とされています。こけら葺の建物の天井は「舟底天井」が特徴で、天井には「天女の奉楽図」「二十五菩薩来迎図」が描かれ、中央に阿弥陀如来、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩が安置されています。いずれも国宝ですが、左右の両菩薩が優美な正座姿から、今まさに衆生を救わんとして立ち上がる様子をあらわした躍動美に感動を覚えずにはおれません。

三千院の門前を北へ行くと、突き当たりにある堂宇が勝林院です。1013年に寂源により創建されました。大原の地は、「魚山」(ぎょざん)と呼ばれ、天台声明(仏教音楽)の修行の地でもありました。三千院の両側に流れる小川は、それぞれ「呂川」「律川」と呼ばれますが、「呂」も「律」も音楽の調子をあらわすものとされ、「ろれつがまわらない」という言葉の「ろれつ」は「ろ・りつ」からきているとされます。

勝林院は、また「大原問答」(1186年、浄土宗の開祖・法然を招き、諸宗の学僧との間で、念仏により極楽往生できるかどうかの問答が行われ、百日に及んだとされる)で知られています。本尊の阿弥陀如来は、問答の最中に正論を説くと、光明を放ったといわれ、「証拠の阿弥陀」ともいわれています。境内の東側には、鎌倉時代の作とされる宝篋印塔(ほうきょういんとう・国重文)があります。

三千院・勝林院