北野天満宮

北野天満宮北野天満宮
もともとは菅原道真の怨霊を鎮めるために建てられ、全国各地の「天満宮」「天神社」の多くはここから勧進されました。
祭神の道真は、宇多天皇・醍醐天皇の時代に右大臣に重用されましたが、左大臣であった藤原時平の謀により、九州・太宰府に左遷され、かの地で遠く都を偲びつつ亡くなりました。
古くから道真は学問・文芸の神とされ、社前には文人墨客が集い、室町時代には連歌のの中心となった。
現在では年間をとおして受験生と保護者が詣でるが、特に毎月25日は縁日として境内は賑わう。